稲刈り体験で学んだ「星図にないことはやらない」ことの大切さ

先日、友人に強く誘われて、
稲刈り体験というのに行ってきたところ、

参加者の母さんが男言葉で軍隊を指揮するかのように子供を叱りつけていたりとか、
運営側のはずの人がアクシデントそっちのけでランチを食べていたりとか、
さらに、
「新米を食べて味わう」ランチで用意された新米にはがっつり芯が残り、その上、その炊けた新米に水をどっぷり足して(水を足せば柔らかくなると思った?)おにぎり🍙を作って出される、
ということがありました。

 

ちなみにおにぎり🍙は、水をどっぷり足しているので、握れずボロボロのおにぎり🍙で、
小学生でもこれはないだろうという代物。

 

多分、
庶民性の強い土性の星がたくさんあったり、
人との関わりの中で存在感を発揮する木性の星がたくさんあれば、
そういう場所も楽しめるのかもしれませんが、
どちらも持たない私にはとても不快で耐え難く、結局行きは車🚗で送ってもらった駅までの道を歩いて帰ってきてしまいました。

 

大人気ない。

といわれればそれまでですが、
片道1時間半かけて行ってこれはないでしょう、ということで。

ちなみに有料でこれですか?とも思いましたが、有料だったので気兼ねなく帰れたのでそれは良かったともいえます。

 

孫子は「敵を知り己を知れば百選危うからず」といいましたが、
自分の指向性や適性を知って環境を選ぶことはとても大事だな、と思った次第。

 

これまで農村体験に悪いイメージは持っていませんでしたが、今後はちょっと慎重になるだろうと思います。
(そもそも、上格の人には農村体験に向かないのかもしれませんし。)

稲刈り自体は楽しく貴重な体験だっただけに、極めて残念に思うとともに、素人運営の弊害を強く感じました。

 

ちなみに、自分の星図にない星の要素というのは基本的に自分の不得手なことであり、「それは向きませんよ」というものです。

よって、

そうした星図にない要素の活動は、本来あまり積極的に取り組まない方がよいといわれます。

積極的に取り組んだとしても、

「労多くして実りなし」

ということになりがちだからです。

 

それでも無理やり取り組んでみたりすると、今回のような「運命の逆回転」的な出来事に見舞われます。

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Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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