少し前に、西方納音の大運での再婚をご検討の方にご相談をいただいたことについて考えています。
西方納音というのは因縁解脱のタイミングといわれ、過去を清算する時期。
よって、新規出発には向かないといわれます。
ただ、
納音以前は「新たに展開していく」「外側に広がる」という流れであり、
納音以降は「自分に戻っていく」「内側にまとまっていく」という流れなので、
そう考えれば当然に、「過去・結果」を示す西方において納音が起きる時期は、
新しく人生を展開させるための結婚とか、
新しく様々なことにチャレンジし世の中を開拓していく事業展開というのには向かないと思うのですが、
それまで積み重ねてきた様々な経験や事象、実績、財産というのを清算して、
「本質的な自分の生き方」「本来の自分の使命」というものに向かうなら、それは必ずしもNGではないのではないか?
と、考えるわけです。
もちろん、そんなふうに意識は「過去の清算」「自分に戻る」という方向であったとしても、
現実においては「新規出発」にはちがいなく、それに伴う「現実のスタート」的なあれこれはあるわけで、
そういう「有形の現実」を司る年運の納音であれば、それは避けたほうが良いのには違いないのですけれど、
大運という想念の世界において納音であるという場合には、
どの方向に向かうのか、という意識のほうが大事のではないか?というお話です。
ちなみに、会社の設立日なども、「中殺のある日」というのは避けるべし、といわれたりしますけれど、
業種によってはむしろそういう日のほうが発展的ということもあるように思います。
例えば、Facebookなどは、無形の情報でせっせと稼いでいる会社ですが、Facebookの会社の命式は生月中殺ですし、
人類をインターネットという仮想空間へ誘ったマイクロソフトは日座中殺にして生年中殺もあります。
散法とか中殺というのは、それを宿命に持っている人と持っていない人では、世界の捉え方、事象の捉え方がまるで異なります。
もちろん、生まれてから成長し、「自分」というのをくっきりと捉えられるようになるまでは、「常識」を生きているので、
散法にせよ中殺にせよ、ふつうの人と同じように捉えている人も多いのですけれど、
ひとたび、自分の宿命にある散法とか中殺に気づいたら、
案外とその散法や中殺をうまく使う、うまく乗りこなすような生き方をしている人もけっこういるなと思います。
よく、宿命中殺があるひとは年運の天中殺に耐性がある、ということがいわれるのですけれど、
その本質的に意味するところは、「中殺の生き方」「中殺の使い方」を体験として知っているということではないかと思います。
当然、無責任なことはいえないので、そういう西方納音の大運で何かをスタートすることとか、
中殺のある会社設立日を推奨するとかいうことではないのですけれど、
いわゆる算命学において禁忌(きんき)とされているようなことにおいても、
算命学においてその禁忌に近いような命式を持つ人の場合には、ちょっと違う考え方、使い方があるのではないか?というお話でした。
このあたりは、個別性の高い内容なので、一般論としてはもちろん「禁忌」は「禁忌」です。
ただ、命式により、個々人により、それは異なるのではないか、ということで、
すべてを十把一絡げに語ることはできないだろう、という至極当たり前のことについてちょっと普通と異なる視点で書いてみた次第。
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