非常識に生きた方が良い人

世の中、常識的に生きたほうが良い人とそうでない人がいます。

例えば、中殺があるとか異常干支があるとか、入格しているとか、三大奇星がそろうとか…
そういう人は、「非常識」に生きたほうが、健やかな宿命の消化になるだろうと思います。

常識的と非常識ということについて、どういう在り方かといえば、
例えば、
「法律に違反しないけれど人としてどうなの?」ということというのは、非常識なことであるだろうと思いますし、
「直接指摘されたわけではないから嫌がるかもしれないけどやってしまう」みたいなことも、非常識なことであるといえるだろうと思います。

そういうことをやる、ということを推奨するわけではないですが、
多分、中殺があるとか異常干支があるとか、入格しているとか、三大奇星がそろうとかいう人は、
そういう非常識なことをやってしまったほうが、健やかなのではないかというお話です。

とはいえ、
これは、そういう非常識なことをやっても「許される」とか、自分が「気にならない」というわけではありません。

中殺があるとか異常干支があるとか、入格しているとか、三大奇星がそろうとかいう人であっても、
非常識なことをすれば当然に後ろ指を指されますし、人によっては罪悪感に苛まされるということもあるだろうと思います。

それでもそういう変わった要素を持つ人は、
そういうリスク、そういうストレスを超えてでも、非常識に生きたほうが穏当だろうということです。

非常識に生きて穏当というのも変な話ですが、
「狂った世の中で狂うなら気は確かだ」(黒澤明『乱』より)ということに似て、
非常識な要素を持つ人は非常識に生きたほうが穏やかに当たり前に生きていけるだろうと思います。

実際、彼らには、そういう狂った世界で狂う強さのようなものがありますね。

常識的な人、常識的であろうとする人が、
非常識な人を盾にして非常識なことをすることがあります。

「あの人が言っていたから、私もいいと思って」とか、
「あの人に頼まれたから、私はイヤだったんだけど断れなくて」とか、
多くは社会人経験が浅く、世の中の仕組みが良く分かっていないような人がそういうことを言うのですけれど、

そういう人が非常識なことをすると、
それに伴うリスクやストレスへの耐性がなく、
つまりは狂った世界で狂う強さがないだけに、
身の置き所も心の置き所も失ってしまってかなり苦しいことになる、ということがあります。

さて、中殺があるとか異常干支があるとか、入格しているとか、三大奇星がそろうとかいう人が、なぜ非常識なほうが良いかといえば、
彼らが最も活躍できる範囲というのが、普通の人より広く大きな世界であるためです。

よく中殺があると「枠がない」といわれますが、異常干支も似たものがありますし、
一気格や三大奇星は偏りとか勢い、動きが大きいので、やはり狭い範囲では「変な人」ということになります。

狭い世界では大人しく常識的である方が尊ばれ、
広い世界では非常識なくらいに突き抜けることで活躍に向かうことができます。
…広い世界では、非常識なくらいでないと存在が埋没してしまいますしね。

ということで、自分の命式に応じた世界において、自分に合った在り方を採用するのが良いですよ、というお話でした。

ちなみに、非常識である方が良いのに、なぜか常識を気にしている人というのもけっこうおられます。
非常識に生きてよいのに、常識にとらわれて苦しんでいる人とか。
…このあたりは、「まわりにいる人」の影響もあるのだろうと思いますが、
そういう無駄なところで苦しむのは本当にもったいないな、と感じるこの頃。

同座婚が望まれるのもこうした理由からですので、
ぜひ「今が苦しい」という方は、ぜひ同じ要素のある人との関係を大事にされると良いだろうと思います。

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