Netflixで公開されている『ビリオンズ』というドラマがあります。
ちょっとネタバレを含むので観てる方はお気を付けくださいませ。
この『ビリオンズ』というのは、ヘッジファンドの社長であるボビーと、検事であるチャックによる、
まるで「トムとジェリー」のような面白くも壮絶な戦いを描くドラマです。
私は、英語の勉強を兼ねて海外ドラマを観るのですけれど、このドラマは金融系の英語がふんだんに使われているので観ている次第。
さて、そのドラマの主人公の一人であるチャックというのは、妻とBDSMプレイに興じる性癖の持ち主なのですが、
様々な難題にぶつかり、乗り越え、また難題が降りかかり…というドラマの展開の中で、
「究極的に追い詰められた」状況(それは検事総長への立候補のスピーチの場なのですが)において、自分がBDSMプレイに興じる性癖の持ち主であることを告白します。
そしてそこで彼は一皮むけて、さらなる快進撃に向かう…。
このドラマの見所や学びどころはたくさんあるのですが、
ここでそのBDSMプレイに興じる性癖の持ち主であると告白した場面を取り上げたのは、
人間というのは、そういう「人にはとてもいえないこと」をカミングアウトしたところから本気になれるものなんだろうな、と感じたからです。
人にはとても言えない、人とは異なる、世の中における特異な自分、というのを自分に認め、他人に認め、
そういう特異な自分というのを確固とした「足場」として得ることで、世の中に輪郭をもって受け入れられるようになるんだろうな、というか。
昨日は、律音と納音の話を書いたのですけれど、
おそらくは、
律音までの退気の道のりというのは、「世の中の常識」とか「世の中の素敵」みたなものを学び、そういう「世の中」に同化していくプロセスであり、
納音からの進気の道のりというのは、「人には言えないけれど本当の自分」とか「人にはとても言えない特異な自分」というのを認め、押し出し、研ぎ澄ませていくプロセスなのだろうと思います。
そして、あらゆる人は、社会に向ける自分、世の中で活躍に向かう面というのは(つまり東方は)
30歳までが律音からの流れであり、30歳から60歳までが納音からの流れになるわけで、
30歳からの時期というのは、「人には言えないけれど本当の自分」とか「人にはとても言えない特異な自分」で勝負していかないといけない時期なんじゃないかな、と思うのですがどうでしょう。
実際、そういう「ちょっとマネできないな」というようなことをしている人が活躍しているものですし、
そうでなくても、「人には理解されないかもしれないけど私は満足」的に自分の個性を磨いている人はキラキラと魅力を放っているものです。
一方で、30歳、40歳を過ぎて、誰かの後追いをしているとか、誰かの意向で動いているとかいう人は、
たとえば、30歳くらいまでは「すごく優秀」で、世の中からは「すごい」といわれていたような人でも、
輝きが薄れ、個性が消えて、どこか虚ろな様子であるなぁ、と感じたりします。
ずいぶん前に書いたような気がしますが、
江戸時代では、若い頃は丁稚奉公をして、まっとうな大人になったらのれん分けをしてもらって独立するとか、
若い頃は修行をして、まっとうな技術を身に着けたら自分の腕一本で生きていくのが普通でした。
それが、人間として健やかな生き方だったのだろうと思います。
一方で、現代はといえば、
イギリス発の産業革命以降、資本主義が蔓延した結果、大量のサラリーマンというのが発生し、
日本においても学校を卒業したら、働けなくなるまで会社で人の後追いをし、誰かの意向で生きていく、という社会になっていますね。
最近では、なんとなく社保と定年年齢延長により「ゆりかごから墓場まで」会社のお世話になります、という人も少なくないように思います。
なんとなく、それでいいのか?
というのが、このところ思っているところであります。
さて、冒頭のBDSMプレイに興じる検事チャックに話を戻せば、
恐らく彼の東方には堅実な世界が広がっていて、西方には家庭に向ける顔があるのだと思うのですが、
中央、つまり月干支には、BDSMプレイ的な顔があるのだろうと思います。
そして、そのBDSMプレイに興じる自分を認め、さらには公表することで、世の中に対する「確固たる足場」を得たのだろうと思うのです。
「自分の真実」ほど、自分を強くしてくれるものはありませんね?
これはОリングテストをみても分かります。
(指でО(オー)の形をつくり、真実をいうときはその指のО(オー)は解けないけれど、真実ではないことをいうとその指のО(オー)は力なく解ける、その仕組みをつかって真実かどうかをみるテストのこと。)
真実は自分を強くする。
そのことを胸に、自分の真実を探し、自分の真実を認め、そしてそれをベースに次の選択をすることが大事なのではないか、というお話でした。
人生って、私たちが思うよりずっと短い。
半分くらい、いや八割以上、自分に向けて書いています。
…私はBDSMプレイの趣味はないですけれど笑
⭐︎ご参考:前半の自分と後半の自分は「別人」であるということの意味、人生とは鋳型を造形するプロセス
https://note.com/kinugyokutoan/n/n1d2c2c42a4a8
⭐︎2020年9月五週目のマガジンを公開しました。
日付は、サークルに投稿したときの日付です。
https://note.com/kinugyokutoan/m/m141c41bcdc59
⭐︎サークルへのご加入はこちら。読む専も歓迎です!
https://note.com/kinugyokutoan/circle
最近のコメント