「出る杭は打たれる」
ということについて考えています。
一般社会においてもよく使われる言葉ですが、
算命学でも従化五格を筆頭に、基本的にエゴを出さず周りに従う控えめで調和的な在り方(一言でいえば「中庸」)が幸せにつながる生き方といわれる、そのことについて検証しています。
何をもって「出る」というのか。
スタンドプレーをするとか、目立った業績を上げるとか、注目を一身に浴びるとか、様々な考え方がありますが、
本質的には、
「世に出て利益を得はじめた人が叩かれる」
「自分の役割を存分に発揮して権力を持つ人が打たれる」
ということなのではないかと思っています。
言い換えれば、
活躍しても大して儲からなければ世の中の人は諸手を挙げて応援してくれるし、
注目を浴びても権力を持たなければ、多くの人に支持されるのではないか。
例えばアイドルなどは「偶像」の意味ですが、その意味通り、注目を浴びる象徴として在るだけであれば多くの人にちやほやされるわけですが、
彼らがお金持ちになり権力を持てば、相応に批判や中傷に晒されるようになります。
年収○億みたいな芸能人で、
人気ランキングの上位にいる人がいますが、
そういう人は、大衆からはお金や権力を持っているように見えても、
その実、事務所なり黒幕なりに「従い」、彼らの権力の傘の下で、彼らを経済的に潤わせる役割を担っています。
つまるところ、
活躍するとか注目を浴びるということを、
一瞬ではなく長期的に維持できる人というのは、やはり誰か、あるいは何か(宗教とか使命とか)に「従って」いるわけで、やはり「従う」というのは、何にしてもかなり重要なファクターなのではないかと思いますがどうでしょうか。
お金とか名誉を得るのに努力や頑張り、あるいは運以外の何か(例えば「従う」とか「中庸」)が必要なのか?
そこはそれほど重要な争点ではないのではないか?
と、久しく思っていたのですが、
よくよく考えれば、
お金や名誉というのは、人間の幸せ五行である福寿禄官印の禄と官であるので、
そこらを得れば、別のところでバランスする何かを差し出す必要が生じます。
その差し出す「何か」が、
「出る杭は打たれる」であり、批判とか中傷なわけですが、
それを免れて幸せにつなげる、
お金や名誉を得て生じる禍を無効化するのが「従う」とか「中庸」なのではないかと思い至りました。
無効化なんてできるの?
…と思われそうですが、
例えば大きな組織に属している人や親の庇護の下にある子供、夫に扶養されている専業主婦などが中殺などの影響を受けにくいことを考えれば、
「従う」ことで無効化できるという考えもあながち間違いではないように思います。
つらつらと書きましたが、
このところ年運の貫索星中殺の影響か、「従う」ことが出来にくい自分の状況を反省を兼ねて、検証してみた次第。
今年(陰暦)もあと5ヶ月、「従う」というテーマにきちんと取り組んでみようと思います。
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