「できる」からといって星にないことを目指すことは「凶」

孫子の兵法の「火攻篇」に、
「夫れ、戦えば勝ち攻むれば取るも、其の功修めざる者は凶なり」
という言葉があります。

戦っては勝ち、責めては相手の領地を取り、連戦連勝を重ねたとしても、
その勝利や土地の奪取による現実的・実質的・実利的なメリットを十分に得ようとしない人は「凶」である。

…というような意味の言葉です。

これをもって、
「目的なく勝負に勝つことは不吉だ」という現代訳を付けておられる方もいます。

さて、この文章について考えていたんですが、

「夫れ、戦えば勝ち攻むれば取るも、其の功修めざる者は凶なり」
といって、

戦っては勝ち、責めては相手の領地を取り、連戦連勝を重ねたとしても、
その勝利や土地の奪取による現実的・実質的・実利的なメリットを十分に得ようとしない人は「イマイチである」。

というなら分かるのですが、「凶なり」、あるいは「不吉である」といわれると、
現代の感覚ではなんとなく違和感がありますね。

けれど、これに算命学の「宿命に応じて生きることの大切さ」の考え方を取り入れて、

戦っては勝ち、責めては相手の領地を取って連戦連勝を重ねるような人物であったとしても、

戦いの本質を知らず、そこに正義・大義がなく、その目的をきちんと捉えられていないような人物(=戦いの星を持たない人物)は、
適切な戦いとその成果を実現することが出来ないために国にとって凶となり、
さらに本人にとっても本来の宿命から逸れた生き方であるために凶となる。

…と、考えれば、得心がいくな、と思ったのですがどうでしょう。

これをもう少し身近なところでいえば、

数字に強くて簿記一級の資格をもっていたとしても、
そもそも商売や経営にまるで興味がないような人にその簿記の仕事を任せてしまうと、
会社にとっても本人にとっても良いことにはならない、ということ、

テストの点を取るのが得意で試験をすればいつも一番であったとしても、
そもそもそのテストで良い点をとった先に何をしたいかという目的がないような人が一生懸命勉強するというこは、
社会にとっても本人にとっても良いことにはならない、ということ、

…と、同じ感じかな、と思います。

このことは、
星図にない星の性質というのは、
いくらそれを上手にできるとしても、それを「目指してはいけない」というあのお話に通じます。

ない星を目指すのは「凶」である。
…そのことを、冒頭に挙げた孫子の一文はいっているんじゃないかな、と思いますがどうでしょう。

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