「有形の現実を生きる」ということの意味

※主婦で恋愛中の方は閲覧ご注意くださいませ。

ちょっと前に、
Facebook上の主婦の友人が、別の主婦の友人について、

「あの人は男の人の投稿にしかコメントしない人」

…というようなことをおっしゃっていて、
まるで女学生同士のようだと思って笑ってしまったことがあります。

中学とか、高校とか、いわゆる思春期の頃って、
「男子としかしゃべらない!」とか、そういう話、ありました笑

一方で、そういう指摘をしているのは、
「女子としかしゃべらない」女子であったりして…懐かしいなと思った次第。

さて、多くの場合、
「男子としかしゃべらない」、とか、
「女子としかしゃべらない」、とかいう人は、

何か満たされないもの、欠けているものがあって、
その先に自意識過剰になっているような人が多いものですが、

大体の場合は成長とともに、
自分に合ったものを知り、
そのうえで自分に合ったものを手に入れる、という経験を重ねて行くと、
そういう「自意識過剰」も解消されていくのが普通です。

とはいえ、
主婦、という場合には、
実際には女学生よりもいろいろと難しさもあり、こじらせることもありますね。

というのも、
主婦くらいの年齢になると、
いわゆる「最後の恋」症候群といわれる、
「女としてこれが最後の恋になるかも?」という焦りから、
本来の自分では絶対しないようなストーカー行為に及んでしまったりするとか、

主婦という「制約された生活」の中では、
相手が大した人間でない、相性が大して良いわけでもない…にも関わらず、
追いすがり身を投じてしまう、
…みたいなことがあり、

つまりは、女学生よりもはるかに複雑な心理のもとで、
そういう「自意識過剰」が起こっていたりするからです。

こういう、こじらせ系の自意識過剰というのは、
自己防衛と共に現れる、という点で、
厄介でもあり、不毛でもあります。

例えば、

何かにつけて夫以外の複数男性のフェイスブックに「かまってちゃん」的にコメントを繰り返していた主婦の方がいたとして、
そのうちその男性のうちの一人が、その女性を軽い気持ちで飲みに誘ったら、
えらい気張った格好で登場したのでドン引きして、
フェイドアウトをしようとしたら、
ストーカー並みにメールや待ち伏せ、押しかけ攻撃に出てきて、

あまりの恐怖にきっぱりハッキリ「あなたとは遊びだ」…みたいなことを言ったら、
その主婦は態度を翻し、
「私には夫がいるのに、あなたになんか本気になんてなるわけないでしょ笑」
と、負け惜しみを言う、

…みたいなことってよくあります。

なんとなく、
めちゃくちゃ具体的すぎて「誰かのことですか?」と思う方もいると思うのですか、

「満たされない主婦」というカテゴリがあるとして、
そのカテゴリの中にいる人であれば、
似たようなことを一度は通過儀礼的に経験したことがあるのではないかな?
というくらい、一般的な出来事だろうと思います。

さて、前置きが長くなったのですが、
今日書こうと思ったのは、

先に挙げた、
自分が追いかけ回しておきながら、いざ振られるとなると、
「私には夫がいるのに、あなたになんか本気になんてなるわけないでしょ笑」
…というような負け惜しみを言う、

というような行動は、
(気持ちは分からなくはないですけれど)

自分の成長を著しく損なう、
大きな前進ができるかもしれないチャンスをつぶすこともある、
…ので気をつけたほうが良い、ということです。

自分が見苦しいことをしたなら、見苦しいことをしたと自覚する、自認する。
自分が恋焦がれた人に振られたなら、振られたことを自覚する、自認する。

いかに恥ずかしくても、悔しくても、苦しくても、
そうやって、
自分に起こったこと、
自分の好意が受け入れられなかったという現実を、
きちんとあるがままに受け止める、理解する、
というのは本当に大切なことです。

というのも、
有形の現実を成長しながら生きていく、ということのためには、
常に必ずそういう「傷つく」という経験、そしてそれを「乗り越える」という経験が不可欠であるからです。

あるいは、只今現在、noteのほうでせっせと書いている、
「蔵干にある守護神を使う」という場合にも、
そういう「傷つく」とか「苦しい」とか、そういう経験を経ての「前進」が必要なもの。

なお、ちょっと興味を引くために、「主婦の恋」というセンセーショナルなテーマで例を挙げましたけれど、
例えば、
評価されることを目指したのに評価されなかったら、それはきちんと評価されなかったことを認めるとか、
第一志望の学校に落ちたなら、第二志望のほうが実は第一志望だったなどということなく、
「第一志望に落ちた」という現実を認めるとか、

…そういうことは、本当に大切です。

なぜなら、人生稼働のエンジンに油を注ぐのは、こうした、

恥ずかしい
悔しい
苦しい
…という経験で、

それを真正面から受け止めて、それを乗り越えた人は次のステップに進める一方、
先に挙げたような「負け惜しみ」をいって逃げた人は、
壁に阻まれ、前進できず、同じところをぐるぐるするような人生に陥ってしまうものだからです。

「有形の現実を生きる」とは、
いいとこどりをするとか、ごまかすとか、逃げたり避けたりするとか、
…そういうところでは実現しないことである、

と、言えば伝わるでしょうか。

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