昨日、守護神について書きました。
繰り返しになりますが、
算命学でいう「守護神」とは、
自分の日干が心地よく命式の中で輝くことをサポートする星のこと。
平たくいえば、
自分が世の中で活躍することをサポートしてくれる星のことです。
守護神の星が年干とか月干のような目立つところにある場合、
その命式を上格といい、
世の中の表舞台で活躍しやすいとか、
先進国などの文明社会で生きるのに向くといわれます。
平和な時代において、都市社会の表舞台で活躍するような政治家とか実業家、
あるいな大きな組織で品良く偉くなるタイプの人は、割とその上格の人が多い印象です。
一方で、
守護神の星が命式のどこにもないとか、
忌神の星(一般的には日干支や守護神を刻す星ですが、個別の判断が必要です)が目立つところにある場合の命式を下格といい、
世の中の裏側とか、ガチンコの世界、
発展途上国などの原始的な社会で生きるのに向くといわれます。
歴史に名前が残っている戦国武将というのはたいていその下格の人だったといわれますが、
現代でいえば田舎暮らしを志向したり、都市生活の中でも無法地帯といわれるような世界で活躍する感じです。
上格とか下格とかいわれると、
上格のほうが上で下格のほうが下のように現代人は思うわけですが、
イメージとしては、
たくさんの人に支えられて上の方で生きるのに向くのが上格で、
この人たちは、法律とか組織とかに守られた人為的な世界で生きるのには向くけれど、
自然の本質的な相である弱肉強食とか生態ピラミッドの中で自力で生き残るのはちょっと苦しいタイプの人たちです。
一方で下格はといえば、
誰かに支えられなくても自力で生き残れる力強さがあります。
戦時中に生き残ろうとすれば、法律だとか組織だとかは言っていられないわけで、
知恵と生命力だけの勝負になるものですが、そういう世界で命を張り、生き残るためにあらゆる手段を講じ、弱肉強食の世界で勝者になる、そんな人たちです。
例えばそういう人が組織の中にいる場合、
禁じ手を使いながらのし上がる、そんな動きをしたりします。
いってみれば、
殿上人みたいな生き方が上格、
在野の生き方が下格、
御殿の上か下かみたいな捉え方をすると分かりやすいかもしれません。
これは適性とか個性の話なので、どちらがよくてどちらが悪いということではありません。
御殿の上でも下働きということはありますし、御殿の下で在野の帝王みたいな人もいます。
これまでもこうした上格下格の傾向は認識していたのですが、
昨日たまたま、友人が発展途上国に住んでいるという話を聞いて命式を拝見しましたら、
確かにその方は忌神の強い命式でいらっしゃって、
「なるほど、そういうことか!」
とカチリと腹落ちしました。
守護神という環境が味方してくれる人は環境を信じることができるので、
文明社会の法律を信じ、組織の仕組みとルールを信じて生きていけるのでそういう社会で光るけれど、
忌神が強く環境が必ずしも味方してくれない世界で生きる人たちは、
自分を信じ、そこで力強く生きる術を身につけ、そういうガチンコの生き方が許容される世界を志向する。
そういうことなんだろうと思います。
ちなみに、
そのあと何十件かサンプルの命式を見直してみたところ、
確かに都市部で会社員をしているような人たちは割と上格の人が多いよう。
また、都市部でも、大きな組織ではなく自営業とか芸能関係の仕事をしている人は、中格とか下格の人が多いような印象。
そして、生き馬の目を抜くような商売とか、弱肉強食の世界で人を蹴落としながら生きるような世界にいるのは下格の人が多かったように思います。
サンプルは著名人やキラキラした人がのものばかりなので、一般の人を見れば逸れていることもありそうですが、
少なくともキラキラしている人というのは、
だいたいそれぞれの適性に合った環境を自然と選ぶもの、のように感じられました。
このところ、守護神法を改めて学んでいますが、こうした命式からくる環境の選び方や生き方の傾向以外でも、
大運や年運でめぐる守護神・忌神のもたらす「風」のようなものの傾向がふんわりとですが分かってきました。
もう少し深まったら、それも改めて書きます。
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