梅の木にみる家系の話

本日は、曽我梅林で友人ご夫婦がお世話をされている梅の収穫体験をさせていただきました。

なんとなく「梅」に心が惹かれて伺ったのですが、

とても濃厚な梅の世界を堪能いたしました。

 

日頃、「家系は樹です」ということを書いていますが、
本日、「梅の木の一年」について教えていただいたのですが、
そこにはやはり「家系」と同じ姿を感じました。

 

梅の木は、
1月から2月に受粉します。
いってみれば「結婚」です。

そしてたくさんの実がなるのですが、
これは「現実の果実=現世の利益(幸福)といえます。

 

たくさんの果実がなりそれを収穫するためには伸ばすべき枝を生かし、
それ以外の枝を剪定する必要があります。
これは、家系を伸ばす人が伸びる分、
それ以外の人が伸びない、または切り落とされるということです。

 

また、梅の実を収穫するためには程よい高さに枝があることが望まれるため、
高く伸びる枝は「畳のへり」のような丈夫な布で抑え込み、角度を下げます。
言い換えれば、切り落とされることなく伸びる枝というのは、「抑え込まれる枝」でもあります。
これは、家系を継承するのは「家系の枠」の中で生きていける人であり、
その枠を超える人というのは本質的に家系を継承しない人ということ。

 

なお、梅の実をたくさん収穫するためには収穫のあとで「施肥」といって肥料を施すのですが、
このあたりは、
「現世利益をたくさん得たら、それを世の中に還元していく必要があり、
それを怠ると現世利益は減っていき、
しっかり還元していけば現世利益は増えていく」
ということに通じるな、と思いました。

梅の木は古木を切ったその切り株に若枝をさすことで再びその命を得るそうですが、
このあたりも家系における命の仕組み、人間の命の循環の仕組みを感じます。

 

いかに文明が発達し、
社会のルールが人に優しくなったとしても、
その本質は自然の姿にあるということを改めて感じました。

 

ちなみに、
自宅に自分の背の高さ以上の観葉植物をおいてはいけないとか、
自宅の庭に実のなる木を植えると発展しないとか風水ではいわれますが、
考え方の根底には同じようなものがありそうです。

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梅シロップと梅酒、作ろうかな。

 

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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