昨日の朝、
ハシゴの話を書きましたら、
「自分がそんな目にあったらどうなんだ!」
的なご指摘を頂いたので書くのですが、
男社会で働いていれば、
しかも転職などして会社の文化も分からないで働いたりしていれば、
ハシゴを外されたり、
煮え湯を飲まされたり、
言葉に尽くせぬ侮辱を受けたり、
時代にもよりますが、
まぁ普通にあります。
そういうところでは、
文句を言うとか言い訳をするとか、
したところで価値も意味もなく、
その場では甘んじてその現実を受け入れるしかない、
ということも、
身をもって経験できます。
もちろん中には、
「女性だから」と優しくしてくれたり、
「経験が浅いから」と気を使ってくれたりする人もたくさんいましたが、
それは「お情け」でそういう対応をしてくれる人もいる、というだけで、
言ってみれば、
本気の相手にはされてない、
ということです。
「宿命の消化」
…ということにも通じるのですが、
そうしたところで甘やかされたり、
苦しいからと仲間内で愚痴を言ったり、
そのひどいことをした人を恨んだりしたところで、
問題は解決しません。
そこから自分が学んで成長し、
乗り越えないと、
同じことが延々と続きます。
(同じ高さの螺旋が続く=ループします)
苦しいことから逃げたら、
それは追いかけてきます。
成長し、それを乗り越えるのに何年も、
場合によっては10年スパンで時間がかかることもありますが、
ハシゴを外されないだけの存在感を備えるには、それくらいの時間がかかるのはある意味当たり前です。
但し、
苦しい中で頑張ったことは「貯金」になります。
苦しくて落ちたところの分だけその先登れるということなので、
そう悲観したものでもない、
と、思っています。
とりわけ身強の人は、
苦しんだ方が先々幸せです。
というか、
ハシゴが外されたとか、
煮え湯を飲まされたとか、
騒ぎ立ててるのはたいてい身強の人な印象です。
最身弱の人などは、
傍目に苦しいこととか、
ちょっと理不尽そうなこととか、
…そういうことがあっても、わりと飄々としてどこ吹く風、という感じ。
もちろんその場では、
「あいつ許せねー!」
と言っていたりしますが、
それがポーズだったんじゃないかと思うほど、
あとを引かずにいる感じです。
火金の相剋とか火水の相剋とかあると、暴発的に怒っていたりもしますが、
そんなに長々と根に持たない感じがします。
まぁ、精神性の成長が浅いと、
身弱だろうが身強だろうがネバっと怒っていますが、
それは成長の螺旋を登れていないことが問題なので、
ネバっと怒るその怒りを
前向きに消化し、成長や飛躍につなげるよう精進するしかない、
ということです。
ちなみに、
精神性の低さに起因する問題の難しいところは、
見る人が見ればすぐに分かるのですが、
本人はなかなか気づけないことにあります。
なので、
繰り返し起こる理不尽とか、
繰り返し起こる不運とかあったときには、
ガツンと自分の心根を問いただす、
ということが望まれます。
算命学では、
精神性を向上させると禍を環境に見るようになる、
と言われたりしますが、
自分に禍が降りかかるときというのは、
自分に原因があるのだということが分かっていれば、
コトは簡単に解決できたりします。
よって、覚えておくべきは、
どれだけ相手がおかしいと思っても、
いかに環境が理不尽でも、
その原因は必ず自分であり、自分の成長を促すための「機会」だということ。
それが、
自分に反省を促すための試練なのか、
そこから別のところへ向かうための導きなのか、
方向転換するためのきっかけなのか、
それは本人にしか分からないかもしれないし、
そのときになってみないと分からないかもしれませんけれど。
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