コミュニティ活動などを牽引し、
人のため、街のため、世の中のために象徴的な役割を担っているようなタイプの人いうのは、
愛情奉仕の禄存星とかコツコツ信頼を築く司禄星のような土性の星があるように思っていました。
範囲の違いはあるにせよ、
土性の星は人とのつながりを大切にし、そこから様々なものを得ていく感じがしています。
しかし少し前に拝見した方はまるっきりそうした星がなく、
牽牛星と車騎星と貫索星しかなくて、
解釈に窮する、ということがありました。
それについて、
気にかかりつつも忙しさにかまけて深掘りすることなく棚上げにしていたのですが、
昨日読んでいた原典にその答えらしきものを見つけたので参考に書いておきます。
……….
龍高星的なエネルギーの中で牽牛星を目指す場合、
つまり、
正統な学問学歴に寄らず、
体験による学びや忍耐という経験を経て名誉や自尊心を目指す場合、
世のため人のため会社のため(禄存星的)
というムードが強く現れて、
世のため人のためという意識なしに世のため人のための行動をし、
地位や名誉を得ていく。
算命学ではこれを、
「牽車の逆現」といいます。
……….
龍高星は陽性の水、
牽牛星は陰性の金、
禄存星は陽性の土、
※この3つは内次元・外次元のところで説明した「気心体」を成す組み合わせですが、
次元のところでは相生の流れだったものが、ここでは相生の逆の流れであることに注目
龍高星的なエネルギーの中で、
牽牛星を目指し、
禄存星的な行動をする、
ということは、
陽水→陰金→陽土
となり、相生の流れ(土生金、金生水)とは逆になるので、
「逆現」というのだろうと思います。
また、「“牽車”の逆現」ということなので、車騎星をベースに、
玉堂星(正統な学び)→車騎星(がむしゃらに頑張る)→司禄星(家庭の世界)ということも、言えそうです。
※原典には牽牛星ベースの話しか書いてありませんが。
この逆現は、
人間の欲に起因するそうです。
昨日、次元の話を書きましたが、
次元は気身体を構成する3つの性質が相生の流れで順番に消化されることによって、その次元が上がります。
相生なのでとても自然で本人も自覚はあまりありません。
(「自分は次元が上がった!」などと自覚しないものですし、自覚があるとすればそれは真に次元が上がったとはいえないようにも思います。)
一方で、この相生の逆の流れは自然ではない、アンナチュラルな流れです。
自然に逆らってまでもそれを得たいという欲求、
本人の欲、エゴに起因しているもの。
エゴも欲も生存本能の一つなので、それがダメなわけではありませんが、
やはり不自然な流れではあるので、
なんとなく、
見る人が見ると胡散臭いように感じたりしますし、
私が先に挙げた方にお会いしたときも、何となく警戒してしまったりしました。
しかし、原典によれば、
「当の本人にしてみれば自然に現れてきた処世術であり、そこに他意はありません。
それが良いとか悪いではなく、
当たり前の自然の流れということになります。」
と書いてあるので、それは
「そういう流れを生きている人なんだ」
と、シンプルに受け取るのが良いのかもしれません。
この内容は、算命学の複数の概念を組み合わせた視点であり考え方なので、
けっこう難解な内容だったかもしれませんが、
簡単にいえば、
裸一貫で名誉を目指す人は、
世のため人のための行動をとるもので、
そこに打算があるように見えたとしても、
その「名誉」に対する一念がそうさせるので、過度に疑う必要はない。
ということになります。
参考:『原典算命学体系』第4巻
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