古代人と現代人の「命の長さ」の定義の違いに関する考察

百田尚樹先生が、古代人と現代人の間にある「命の長さ」の定義について書いておられたのが面白かったので、本日はそれについて書きます。

本日の内容は、センシティブかつ、算命学に関する基礎的な理解があることを前提にした内容ですので、閲覧につきご注意くださいませ。

さて、「命の長さ」ということについて、
現代人は、その時間的な長さをもって「命の長さ」と考えるわけですが、
古代人は、「楽しく生きられる時間の長さ」「充実感をもって生きる時間の長さ」をもって「命の長さ」と考えました。

古代人は、拙いながらに様々な道具を考案してきたのは、
苦役を減らして自分たちの「楽しく生きられる時間」を長くするためであり、

様々に飾りや模様を考案したのは、自分たちの精神を喜ばせ、
「充実したときを生きる時間の長さ」を長くするためである、

…というのがこの本の前提にある考え方です。

そして、
現代における「内容のない活動」や「しょうもない娯楽」に興じることは、
「命の長さ」を減じる、命を削ることに等しく、

その意味で、
寿命が100年を超えようという現代人の平均寿命と、
その半分以下ともいわれる古代人の平均寿命は、
「時間の長さ」というモノサシで測ればそれは「倍近く」になっているわけですが、

古代人的な命のモノサシでいえば、
実は、古代人と現代人の平均寿命の長さは、大して変わらないのではないか?

…というのが、この本を読んで感じた私の考えです。

というのも、命式をみれば(=大運、年運等含む)、
この辺で他界する、というのは実はだいたい分かるのですが、
実際には、その時期を超えて命をつなぐ方がおられるのも事実で、

それはなぜか?…と考えるに、
その答えの一つが、この現代人の「寿命の定義」と、古代人の「寿命の定義」の差にあるのではないか?
…と、思ったのですがどうでしょう。

つまり、
「生きている“時間”」というときの「生きている」というのを、
私たち現代人は、「心臓が動いている間」と定義しているわけですが

恐らく、古代において「人間が生きている」という場合、

それは
「生き生きと自分を発揮して生きている」とか、
「生き生きと世界を謳歌して生きている」とか、
さらにいえば、
「生き生きと社会に役に立って生きている」ということを指し、

古代人にとって、
そういう「生き生きとした状態」ではなくなったら、
もはや「生きている」とはいえず、
その、単に「肉体を維持しているのみ」の状態は、
「生きている」ということにカウントしないために、
命式による「他界の時期」と実際の「他界の時期」にズレが発生しているのではないか?

つまり、
現代における「死の定義」と、古代における「死の定義」が異なっているために、
命式による「他界の時期」と実際の「他界の時期」にズレが発生しているのではないか?

…と、いうことです。

もちろん、算命学で寿命と読み解く、というときには、
良いことであれ、悪いことであれ、
だいたい、一つだけの要素のみによってそれが顕在化することはあまりなく、

基本的に、
手痛い現実が顕在化するときには、3つ以上の要素が重なっているものですし、
飛躍的な現実が顕在化するときにも、3つ以上の要素が重なっているのが通常で、

さらにいえば、
自分が身を置いている環境(人間関係)や、
その環境(人間関係)との関わりによって、
その顕在化する現実というは可変的なものでもあります。

よって、厳密にその人物の命がどこまでか?
…というのを見極めるには、
正確に読み解く技量とともに正確な情報が必要なわけですが、

その両方をもってしても、
算命学的考察を超えて命をつなぐ方がおられるのも事実で、
そこにある差異というのは、「命の定義」の違いから生まれているのであろうというお話です。

なお、この際、

「生き生きと自分を発揮して生きている」
「生き生きと世界を謳歌して生きている」
「生き生きと社会に役に立って生きている」

…というのは、基本的に、有形の世界、利害損得・政治等の世界における「生き生きと」であり、
学問や芸術の世界に推参していく場合には、
それは、「生き生きと生きる」という「命の定義」による寿命を超えても長く生きることがあるのは、
以前説明した通りです。

なお、百田先生も、「芸術だけが時間を超える」ということを書いておられます。
その意味で、ある程度の年齢になったら、芸術や学問という分野を自分のために準備しておくと良いのだろうと思いますが、

有形の世界を「生き生きと生きる」ことができる年齢のうちは、
確りと、有形の世界を「生き生きと生きる」ことが大切なのは言うまでもありません。

そしてその際には、「時間」を無駄にしないこと。

時間を無駄にすることなく、
「生き生きと自分を発揮して生きている」
「生き生きと世界を謳歌して生きている」
…ことが、命を伸ばします。

最後に、そういう生き方への贐(はなむけ)の言葉を百田先生が書いておられるので、
ここに転載しておきます。

「時間の浪費程大きな害はない」ミケランジェロ

「賢い人間は時間を無駄にすることにもっともイラつく」ダンテ

「成功者のほとんどは他人が時間を浪費している間に先へ進む。私はこれを見てきた」フォード

出典は『成功は時間が10割 』です。
なんちゃってな成功本のようなタイトルですが、
冒頭から三分の一くらいまで、古代人と現代人の時間間隔の違いについて書いておられます。

途中、政治的な内容を含むので、お勧めするものではないですが、
かいつまんで読まれるなら良いと思います。

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