先日、西方の星を光らせることの大切さを書いたことについて、
noteのほうで、中殺された星があっても、
その星を光らせるプロセスは変わらないのか?
…という質問がありました。
noteで質問された内容ではありますが、
汎用性のある内容なので、
その回答をこちらに書きます。
さて、星を光らせるプロセスとは何かといえば、
平たくいえば東方から順番に光らせましょう、
…ということなのですが、
このプロセス、順番というのは、
星が中殺されていてもいなくても変わりません。
というのも、
物事というのは常に、
スタートがあってプロセスを経てゴールに至る、
起点があって存在があり、その先に終点に至る、
…という順序で起こる、
そのことに変わりはないからです。
とはいえ、
中殺された星の発揮というのはたいへんに不安定で、
大いに、ときに容赦なく、壮大に発揮されることもあれば、
まるでその星の存在を感じさせないほどに微かな発揮に留まることもあり、
その意味でいえば、
人により、
中殺された星をうまく光らせることができないために、西方の星になかなか行きつかない
…という方もおられるかもしれません。
三奇星と同様に、
中殺された星というのも扱いに難しさがあり、
狭い世界、いわゆる職場内とか近所さんとか、
そういう「知り合い」の世界において、
彼らに合わせながら中殺の星を生きている人というのは、
多くの場合、その星を光らせることなく抑制しています。
先にあげた例で言えば、
まるでその星を感じさせないほどの微かな発揮に留まっていることが多くあります。
その結果、
その「知り合い」の世界では円満に、平和に生きていくことができるのですけれど、
本質的な星の発揮がなされていないために、心の中では不平不満が渦巻いている、
…ということはよくあります。
そもそもの話をすれば、
中殺された星というのは、
たとえ「知り合い」の世界でははた迷惑であったとしても、
大いに、ときに容赦なく、壮大に発揮されることの先に陽転へ向かう一方、
たとえ「知り合い」の世界では褒められ、歓迎され、ハレルヤ!と祝福されたとしても、
まるでその星の存在を感じさせないほどに微かな発揮に留まるなら、それは陰転にしか向かわないもの。
これは、中殺のある人たちが生地生家を離れてこそ陽転するといわれるのと同根のお話で、
中殺された星の居場所はそういう狭い世界ではないからです。
星が陰転した場合に、
順当に西方の星が光るのか?といえば、 そうはなりにくく、
こうした背景をみれば、
中殺がある場合の(中殺された星がある場合の)西方の星の光らせ方には、
難しさがあるといえるかもしれません。
これは三奇星にも同様のことがいえるのですが、
中殺された星が陽転しているかどうかのモノサシは、
「まるで知らない人から評価されるか」
…というところにあります。
その意味で、
「知っている人からの評価」 ばかりを目指すと、いろいろ道を誤ることもあるだろうと思います。
余談ですが、
牽牛星が中殺されていて、
その牽牛星が容赦なく、壮大に発揮されると、
徹底的に 「誇れるもの」 「自分に誇りを持っている人」 に拘る反面、
「誇れないもの」や「自らに誇りを持たずに生きている人」に対して容赦のない批判をぶつけ遠ざけることになります。
私は20代のころからお化粧品はシャネルを使っているのですが、
これは、シャネルの販売員の方々は、「シャネル」に揺るぎない誇りを持っており、
その誇りの揺らぎなさは、牽牛星中殺に耐えうるものであるからです。
牽牛星中殺は、
誇りが揺らぐことを許さないため、
自らの商品への誇りが揺らいでいる販売員=凡庸な販売員からモノを買うことができません。
いろいろと批判されたりもしますけれど、
実際のところ、中殺がある場合には、そういう在り方であることで自分の立地が安定し、
道が開かれていくように思います。
中殺の星を光らせる、ということの意味が伝わりますでしょうか。
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