論語に、
「事を先にして得ることを後にするは、徳を崇(たか)くするに非ずや。」
という言葉があります。
「まず行動を先にして、利益や報酬を得るのを後にすれば徳が高まるだろう。」
という意味の言葉です。
算命学にも同じように、
「最大の負担を背負う者が最大の運勢をつかむ」
という言葉があります。
「大きな負担を先に背負えば、その後大きく開運する」
という意味で、先に挙げた論語の言葉とほぼ同義です。
どちらも言われてみればそうだよね。
当たり前だよね。
と、思われそうですが、
最近仕事で雑用づいていることもあり、
私の中では何となく、
何となく右の耳から左の耳へ素通りしている言葉でもありました。
しかしたまたまお会いした方に
冒頭の論語の言葉のお話を聞きつつ、
その後に挙げた算命学の言葉を思い出しつつ、
ふと思ったのですが、
この二つの言葉にある「負担」は例えば、
「自分のことはさておき人を先にサポートする」負担
「自分の私生活をさておいて全体の中の役割を果たす」負担も、多分その「負担」に含まれていて、
そう考えると、
けっこう日常生活や仕事上の心構えに応用できそうだな、という気がします。
そんな大げさなことでなくても、
「このくらいでいいかな?」を
「もうちょっとできないかな?」に変えるだけでも良さそうです。
「自分のことは後でまず組織のために」
なんていうと、
今時滅私奉公なんて流行りませんよ、
と言われそうですが、
ガツガツ滅私奉公した先に徳が高まったり開運したりするのなら、
…流行るかもしれません 笑
ちなみに冒頭の論語の言葉を紹介してくださったのは、
最近某大手企業で最年少で部長に昇格された方。
さすが立派な見識をお持ちだな、と頭が下がりました。
その方は、自分の取引先を陰に日向に支えつつ上場に向けて育てておられそうで、
今日はそれに力を貸してくれませんか、というご相談をいただきました。
佇まいのしっかりとした立派な方に対峙すると、
自分もその立派な方につられて背筋がしゃんとするから不思議です。
ありがたいお手本のような方にお会いできたことに感謝しつつ、
改めてその言葉の本義にちょっと真剣に取り組んでみようと思った今日でした。
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