玉陽庵さまのこちらのブログ。
https://blog.goo.ne.jp/gyokuyou-an/e/559978e538026ee8ce44ba1474578556
とても勉強になるので常日頃参考にさせていただいています。
実は一度、お教室に通わせていただきたいと思っているのですが、
今年は募集がないようで残念です。
それはさておき、
こちらのブログにご案内のある
『「生月天中殺」は、
普通の人が持つ運の上下の「枠」が無く、実は「大運天中殺」が生涯続く人、とみなされるのです。
ある意味、「生月天中殺」の人は、「いつでも“陽転”できる人」。』
ということについて考えています。
大運天中殺は一般的に(生月天中殺がない場合)その年齢によって、
天仁の型、天礼の型、天智の型という運の流れのパターンというのがあります。
天仁の型は若年期(初旬、二旬)に大運天中殺がめぐる場合の運命の陽転・陰転のパターン、
天礼の型は壮年期(三旬、四旬)に大運天中殺がめぐる場合の運命の陽転・陰転のパターン、
天智の型は晩年期(五旬、六旬)に大運天中殺がめぐる場合の運命の陽転・陰転のパターンです。
それぞれ、
陽転するためのトリガーとなる出来事や状況が型としてあり、その型にはまる状況が大運天中殺の前5年に起こると陽転するといわれます。
(大運の見方は複雑なので、具体的な判断はきちんと命式を見た上でとなります。)
しかし、生月天中殺のある人は、
多くの場合、大運天中殺を消化できるほどの体力があるタイミングで大運天中殺がめぐることはありません。
(大運は自分の月干支の次の干支からスタートするため、初旬か最晩年に宿命天中殺がやってくる流れになります)
その代わりに「生涯大運天中殺」と同じ効果がある人、ということなのですが、
それについて、久しく
どういうことだろう?
と考えています。
例えば、天礼の型の陽転パターンの一つに、現実苦の後に経済的あるいは立身出世のような陽転あるいはがあるというそれ、
(かなり説明を端折っていますが詳細は改めて)
生月天中殺のある人は、
いつでもそのパターンにはまれば陽転する、ということなわけで、
実際、一度すべてを失って陽転している生月天中殺のある人も何人か見ていて、なるほど、と思うところもあるのですが、
一方で、生月天中殺にも運のパターンがあります。
生月天中殺 蛇型
(若い頃から恵まれている場合→現実に対峙する姿勢が育たなければ陰転、現実世界に向かえば陽転。)
生月天中殺 辰型
(普通の家庭で育った場合→虚の世界に向かい、陽転すれば学術や宗教の世界で大成、陰転すれば空虚空想の世界で迷い多い生き方に)
生年天中殺 波型
(生来、虚の才能を持つ場合、霊感があるとか直感が鋭いなどの場合→陽転すればそれをプラスに活かして大成し、陰転すれば虚の世界に引きこもる。)
こうした型と「いつでも陽転」との整合生をまだうまく見つけられていません。
以下仮説ですが、
生月天中殺のある人は、
裸一貫で勝負するのが良く、
(家系の恩恵を受けない方が良いため)
裸一貫=一度すべてを失う
ということなので陽転条件を満たし、
そうして陽転した場合、
それは「神がかり的」という認識が芽生えて精神性が高まる。
そして、
若い頃から現実に対峙している場合はその神がかり的な経験を現実的成功に生かすことができ、
一般家庭で虚の世界に興味を向けていた場合はその「神がかり的」を研究する方向に向かい、
霊感のある場合は「神がかり的」経験をもって確信をもって虚の世界で大成する、
ということかな?と考えています。
ただ、
私の周りには生月天中殺のある人がけっこうたくさんいるのですが、
必ずしも「虚」とか精神性に向かっている感じがないので、イマイチ自信がありません。
まとまりがなくて申し訳ありませんが、
このところ、こうしたことについて考えています。
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