先日、日運の東方天剋地冲でたいへんな衝撃を受けて、反省していました。
東方というのは公的世界・仕事の世界、
天剋地冲というのは、完全破壊という意味がありますが、
仕事上のことで、ちょっと大きな衝撃があり、
こういう衝撃があったということは、
日ごろの行いに問題があるのだろうと振り返っていたのでした。
天剋地冲には二種類あって、
後天運を剋す天剋地冲と、
後天運に剋される天剋地冲があります。
後天運を剋す場合は、
自分が起点となって自発的に破壊するので、
「完全破壊」の現象は同じでも、衝撃を受けるのはむしろ相手のほうである一方、
後天運に剋される場合は、
相手が起点となっていきなりガツンと破壊されるので、
「完全破壊」の現象のダメージが大きく感じられる傾向にあります。
さて、
自分が剋す天剋地冲でも、
自分が剋される天剋地冲でも、
それが位相法条件である限り、
基本的に、その現象が起こる原因というのは、それ以前の行いの積み重ねなので、
それ以前の行いが善因となるようなものなら、たとえ「完全破壊」であったとしても、
ポジティブな「完全破壊」となる一方、
それ以前の行いが悪因となるようなものなら、その「完全破壊」はネガティブなものとなります。
今回、私がその完全破壊で「ダメージを受けた」と感じるということは、
悪因をつくっていたのだな、と分かったので、反省していた次第です。
反省することに意味があるのか?
…といえば、これは宗教的な意味でなく、純粋に算命学的な意味で、大いに意味があります。
というのも、
位相法条件により、自分にとってネガティブな現象が起こるとき、
その位相法条件による現象が、自分にとってネガティブに感じられるときというのは、
自分の行いの原因を知り、それを修正しましょう…というサインなので、
それに気付くことができれば、
そしてその原因を修正することができれば、
そのネガティブな現象はそれ以上大きなものとならないからです。
一方、そういうネガティブな現象がありながら、
それがなぜ起こったのかに気づかず、
「思い通りにいかない!」などと怒りながら修正せずに突き進むと、
ネガティブな現象は、その度合いを増していき、自分のみならず、
自分の大切なもの、自分の大切な人にそのネガティブな現象が波及していきます。
このことは、
天中殺前半年前後に訪れるお知らせ現象を無視し続けた人たちのお話とか、
40才を過ぎてなお自分の道に気づかずに生きている人のお話とか、
あるいは、自分の宿命を無視したまま六旬目を迎えてしまう人のお話とか、
…を、思い出せば、その意味が分かるのではないかと思います。
さて、いったい何をしでかして、天剋地冲の衝撃につながったのかといえば、
自分の「正しさ」を振りかざしたことがそれだろうと考えています。
世の中、「正しさ」だけでは成り立っていないので、
もう少し、懐深く在るべきだったな、と思っています。
年支の蔵干がたくさんある人は、あまりそういうことはないと思いますが、
年始の蔵干が1つしかないような場合、そんなふうに「正しさ」に固執する傾向にあるといわれます。
気をつけねば…と思いました。
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