五行の関係を表す言葉に「比和」というのがあります。
この「比和」も、誤解されがちなワードの一つ。
五行の関係は、例えば、
金は木を剋す、その金と木の関係は相剋、
金は水を生む、その金と水の関係は相生、
そして同じ水同士のその水と水の関係を比和といいます。
これは陰占の星同士の関係を表す場合にも使いますし、
陽占の星同士の関係を表す場合にも使います。
五行の関係を表すものなので、あちこちに出てきます。
この比和の関係が対人関係にある場合、
同質五行なので「同じ仲間」のような、仲がよさげな感じで捉えられるケースが多いのですが、
感覚としてはむしろ近親憎悪を生む関係、宿命のライバル的な関係というほうが適切です。
例えば以下のような星図の場合、
☆☆ 貫索 ★★
調舒 貫索 牽牛
★★ 玉堂 ★★
配偶者や補佐は相生(助ける)の関係なので、配偶者を大事にしてるんですね、
母親や友達からは剋されるので、彼らからは刺激を受けることができますね、
子供・目下は相生(助けられる)なので、親孝行な子供や部下に恵まれますね、
という見方をします。
そして父親や目上は「比和」。
貫索星同士なので、「比和」の関係ということになり、
一般的には「友達関係」「平等」「生じられもせず剋されもしない」みたいな書かれ方をしています。
つまり父親や目上とは「友達」みたいな関係なんですね、ということになるのですが、
実際には「ライバル」、
それも、サドンデスで競い合う宿命のライバル的なイメージの方が正しいです。
「同じ」
ということを、西洋思想的に捉えると、
同じなので理解しやすくて仲良くなるとか、
同じなので連携して何かに取り組みやすいとかいうことになるので「友達」でも間違ってなさそうな印象を受けるのも分かるのですが、
実際に「同じ」人がいたらどうでしょう?
例えば、
学歴も収入も、性格の傾向も配偶者や子供のレベル(という書き方も何ですが)も同じ同僚。
一見仲良くなりそうですし、
実際、最初は仲良くなれます。
忌憚なく話せたり、気楽な感じも確かにあります。
しかしそんな関係の相手というのは、
そのうち相手の生活や動向が逐一気になるようになり、
同じだからこそ相手に負けたくないという思いが募り、
そんな中で相手が自分より評価されたりしたら、
自分をいじめる(剋す)上司よりも憎悪の対象になったりします。
「比和」というのはそんな関係です。
生々しい人間の性質を掘り下げて考えれば理解できるのではないかと思います。
改めて書きますが、
東洋思想における「同じ」というのは本当に厄介で、一般的に考える「同じ」とは全く異なります。
前に律音の関係も「同じ干支」を持つ関係で、一つの場所を取り合う関係になる(=サドンデスで競い合う関係になる)ので厄介だと書きましたが、
同じような感じです。
よって、円満に比和の相手と付き合うなら、ある程度距離を取るなり、相手を立てるなりしないと、
相剋よりも破壊的な関係になったりします。
納得しがたい、と思われる方へ補足すると、
世の中には実は「平等」といえのはありません。
概念としてはありますが、
自然界においては「平等」というのはなく、「平等」というのは人工的な概念です。
西洋思想には「平等」があるではないか、と言われそうですが、
西洋思想は大前提としてキリストの存在があり、平等とは神の下での「平等」なので、そこには既に明確な上下が実はあります。
あるいは組織にしても、
上下のない組織、平等な組織というのは均衡を保つことができず崩壊します。
よって、「比和」を「仲良しな友達」みたいに捉えると、本質を捉え損ないます。
比和の相手は、敢えて関係に傾斜をつけるか、少し距離を置くのが良いです。
なお、こうした比和の怖さは、
当人が宿命をそれている場合にはあまり顕在化しません。
本気のところ、宿命をがっつり稼働させている人のところで顕在化するものです。
(算命学におけるネガティブな諸現象は、宿命から逸れている限りはあまり顕在化しません。)
なので、
「いやうちは仲良しだし」
と思われる場合は、自分がその宿命を光らせているか検証してみたほうが良いかもしれません。
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