歪みなく、
中庸の精神を持って心に問うて、
本心から行ったことであれば、
それはそうあるべきことですし、
その結果がどんなものであっても、
結果としてはプラスに展開します。
真の心の発露は、
一個の人間としての体現であり、
それは世に生まれた役割でもあります。
陽転の本質とは、
そういうこと。
体裁を整えようとしたり、
妥協したり、
計算したり、
我慢したり、
逃げたり怖がったり、
そういうふうに心を偽ると陰転します。
ときに、
本心に従ったために失敗したとか、
本心に従ったためにひどい目にあったとか、
本心に従ったために恥ずかしい思いをしたとか、
いう人がいます。
実際、そういう経験は、誰しもがしていることなわけですが、
その「失敗」や「ひどい目」や「恥ずかしい」の少し先まで視野を広げて丁寧に振り返れば、
それらが「きっかけ」であったことに気づきます。
宿命どおりに生きることで陽転するということは、
自分の本分を偽りなく生きることによって陽転する、と言い換えることもできます。
但し、「自分の本分」というのも実はとても分かりにくく、
たいていは親の価値観や社会の常識、時代の流れの中で歪められているものなので、
本当に自分の道を認識するのは、多くの人にとってそう簡単なことではありません。
そんなときに注目して欲しいのが、
位相法の分離条件です。
対冲や刑、害、破などのタイミングや人間関係は、
そうした痛みを伴いながら、それを新たな境地に向かうきっかけとすることができるものです。
それは、
安定の中で妥協と我慢と無理を重ねて生きることが安全であるということが、
真実ではないと認識するきっかけになります。
鮮烈な痛みは、実は祝福です。
痛みから導かれる本心に耳を澄ませば、贈り物に気づくことができる、
ということを覚えておくと、
真っ直ぐに生きていくことへの抵抗がなくなり、
中庸を得て在ることができます。
このあたりは、
痛みのある改革を経てV字回復した企業や、
挫折を糧に飛躍した著名人の事例を丁寧に読み解くと、参考になる事象をたくさん見つけることができます。
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