たまに、
「お父さんが亡くなられたなら、お母さんと一緒に住んであげればいいのに」
と言われたりします。
私も、そういうことも一応視野には入れて家を買ったのですが、
私の何十倍も交友範囲の広い母のこと。
今更私の世話をして過ごすのも気の毒とも思いますし、
実際、父が他界して3年くらいは塞ぎ込んでいたものの、最近は一人の生活を母なりに楽しんでいるようです。
そう話すと、
年配の男性の方は少し寂しげな顔をされたりするのですが、
うちの母は、実は一人で暮らしながら、
常に父とともにいる風情。
決して父を忘れて一人の生活を謳歌しているわけではありません。
電話では一人気ままな様子ですが、
何週間かに一度ずつ実家に帰ると、今も父が生きていて、二人が寄り添っているような、そんな気分になります。
朝は父の仏前にお茶を上げるまで母はものを口にしませんし、
ご飯を炊いたら一番に父の仏前に上げて、自分のご飯はそのあとです。
時々、話しかけてすらいます。
生前から、父を立て、父を大事にしていた母でしたが、それは父が他界した今も変わりなく、
そんな様子に私は安心感を覚えます。
一年の半分以上は出張で不在だった父と、
交友範囲の広い母。
二人は別の方向を見ながらともにいる夫婦なんだと感じていましたが、
それでも大事なことの決定権は常に父にあり、
母は常に父に相談しながら大きなことは決めていました。
私にも弟にも、父への深い尊敬の念が育まれたのはそんな母の影響も大きかったのだろうと思います。
なぜ突然そんなことを書いているかといえば、
民法の法定相続分は配偶者が1/2で、残りが子供ということになっていることって実はあんまり良くないんじゃないかな?とふと思ったからです。
私は法定相続分を相続しているのですが、そのお金や資産にはまったく手をつけていません。
母が必要とするタイミングで、母のために使うもの、と思っています。
算命学では、
結婚は一つの目的を達成するために二人の人間が結ばれるもの、といわれます。
1+1が2ではなく、無限大になるような関係が本来の夫婦です。
私は父の人生と母の人生を見比べてみて、本当の夫婦だったんだなぁとそんなふうに感じています。
父が宿命以上に活躍したのは母のおかげだし、
母が健やかに晴れやかに人生を過ごしているのも父の存在があったからだろうと思います。
だとしたら、その成果物、その財産は夫婦で継承していくべきものなんじゃないかな?
と、そんなふうに感じます。
何か事業をしていてそれを子供が継承するとか、
家名を子供が継承していくとかなら別ですが、
普通の家なら、親はその資産を親の代で使い切るのが望ましく、
子は一から資産なり立場なりを構築していく方が、大成します。
バフェットは、
その資産のほとんどを死後においては寄付することを公言していますが、
恐らくそれが最も正しいように思います。
このあたりは、
私が生月中殺があり、家系の恩恵を受けない方が良いとされるから、
というのもあるのですが、
「寄る辺ない」状況からしか発展しないというのは真理であり、
子としては親に頼ることを前提にするのではなく、
自分の人生は自分でなんとかする覚悟というのが必要なんだろうと思っています。
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