一般的に、五行の関係において相剋より相生のほうが良さそうに言われたりします。
確かに、「相生」には、自然の流れというか穏やかな感じがあるます。
一方で、「相剋」というと、ちょっとキツいなー、という反応をされることがよくあります。
私も、日々の暦を眺めつつ、相剋の日はちょっと緊張というか、ピリッとした気分になります。
しかし、
人間というのは相剋の試練によって成長し、磨かれていくもの。
相生ばかりでは、自然児として健やかに育つことはできますが、強く洗練された姿にはなりにくいものでもあります。
卑近な例で恐縮ですが、
私は実家に帰るときが実は一番緊張します。
服にせよ手土産にせよ、
実家に帰るときが一番気を遣いますし、
親が家に来るといえば、
友人が遊びに来るときの比ではないほど大掃除します。
細かい埃とか、「まぁこれくらいなら」と見過ごすこともせず、
年末の大掃除並みに大掃除🧹🧼🧽
こうしたことは、
大人になってからのことではなく、
子供の頃からそうでした。
親に悩みの相談など、一度もしたことはないし、
自分から助けて欲しいと言ったこともありません。
実はこのことは、
しっかり私の命式に現れています。
陰占の年干支は両親を示し、
年干は父親、年支は母親の位置なのですが、
私はその両方に剋されています。
つまり、日干と年干支が相剋です。
なので、親に剋される、
ということをよくよく身をもって知っているうえで思うのは、
厳しい親でよかったなぁということ。
早い段階で自立できましたし、
コンプレックから逃げることなく向き合えたのも親に甘えることができなかったからです。
他人より親の方が緊張するので、
偉い人に会っても、すごい人に会っても、親に対するほどの緊張を感じることもありません。
子供の頃など、
学校の先生などに、「先生を怖がらない」と評されたり、
友人に嫌がらせをされても動じなかったりしたのは、そうした親がいたからだろうと思います。
(友人や社会的な関係の人を示す月干との関係が相生なので、
そちらのほうが円満でスムーズな関係を築きやすかったというのもありますが)
いずれにしても、相剋というのは、
やっつけるとか打ちこわすような破壊的な意味ばかりでなく、
(もちろん、そういう意味もありますが)、
鍛えるとか磨くというような意味のほうが、現実的な解釈としては妥当であることが多いように思います。
あるいは、大きな壁、とか。
相剋の存在は、超えるべき大きな壁。
それを超えることで、一回りもふた回りも大きくなれる、そんな壁、つまり試練の存在です。
相剋は、実は神様からのプレゼント
という捉え方もできます。
相剋をそんなふうに前向きな意味で捉えるには、
螺旋を登る=精神の次元を高める
ことが必要なので、
若いうちはなかなか気づきにくいものでもありますが、大人になって振り返ると、確かにそうだな、と思います。
なので、
もし命式に相剋のある方は、ぜひその前向きな試練、超えるべき壁というキーワードで、その存在を再解釈してみると、何か大きく成長するきっかけになるかもしれません。
このお話の意味が、
ちょっとわかりにくいな、と思った方、
『だるまんの陰陽五行 「木」』
を読むとよく分かります。
螺旋のことも書いてありますので、
ぜひ読んでみてください😀
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