「休むべきとき」と「休み方」

人生には、「休むべき時期」というのがあります。

というのも、
人間というのは、連続して活動・活躍できるのはせいぜい20年、
それも連続して20年走り続けてしまうと消耗しすぎて回復不能になるリスクがあるので、
できれば10年おきに活動・活躍と休息を繰り返すくらいが本来は望ましいとされています。

いや、日々の糧を稼がねばならないので、
そんな休息するなんて無理ですよ、とか、
休息なんか取ったら、社会的に立場を喪失してみんなに忘れられてしまいますよ、とか、
…いわれそうですが、

ここでいう「休息」というのは、
何もしないで休んでいましょう、とか、
誰とも会わずに休んでいましょう、とか、
そういう意味ではありません。

そうではなく、
何事においてもひたすらに「受け身で過ごす」ことをもって「休息」といっています。

能動的に動くことは、他人との間に「摩擦」がどこかで発生する一方、
受動的に動いていれば、他人との間に「摩擦」は発生しない。

算命学でいうところの「仕事をする=有形の世界で活動する」というのは、
他人との間に「摩擦」が発生することを指し、
「摩擦」が発生する場合には、エネルギー的な消耗を伴う。

その消耗が続くと、
つまり、他人との間に「摩擦」が発生し続ける生活をしていると、
消耗しすぎて回復不能にもなるのですが、
「摩擦」が発生しない生き方・在り方を徹底していれば、消耗を避け休息することができます。

つまり、
人生には「休むべきときがある」ということの意味は、
人生には「ひたすら受け身で過ごすべき時期がある」、
…と、言い換えられるのです。

では、どんなときが「休むべきとき」かといえば、
例えば、

◯天中殺のタイミングや、
◯大きな散法がめぐるタイミング、
◯あるいは、散法と合法が同時にめぐるようなタイミングは、
動くことで混乱を招きやすいので「休むべきとき」といえます。

もちろん、細かい条件にもよりますが、
基本的には、上記の3つのタイミングは、できるだけ受け身で過ごすほうが健やかに穏やかにその時期をやり過ごすことが出来ます。

まぁ、動いていなくてもあれこれ起こるときには起こりますが、
受け身でいれば、ダメージを抑制することはできます。

なんとなく、
世の中で活躍している人たちを眺めていると、
誰しもが絶え間なく、休みなく大活躍を続けているように感じられるものですが、

息の長い活躍をしている人たちというのは、
うまく休んだり、
うまくエネルギーを逃したりして、
きちんと、消耗しすぎないような生き方・身の処し方をしておられます。

なお、受け身でなくともタテ線的な活動=無形的な活動であれば「摩擦」は発生しないので問題ありません。

そういえば、
先日ご相談を承った方は、昨年東方に天剋地冲がめぐっておられたのですが、
そのタイミングで大学に入学してお勉強をされていたら、特に何も破壊的な出来事は起こらなかったのだとか。

そんなふうに、学問というのも、タテ線的、「摩擦」をつくらない在り方なので、
休んだほうがよさそうかタイミングを控えておられる方は、検討してみても良いかもしれません。

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