「一般的」を目指すことの愚

世の中には、「毒親」という言葉もあるくらい、両親との関係が悪い方というのがおられます。

とりわけ、生年中殺とか生月中殺、異常干支などがあると、
親に過剰な期待をすることになりがちですし、
親との世界観の違いもあるので相互に理解が出来にくく、
ときに破壊的な関係になることもあります。

これについて、一般的なファミリードラマなどをもって「ふつうの家庭」だと思っているような人から見れば、
自分の家庭は悲惨であるとか、自分の家庭は異常であるとか思いがちなものなのですが、

生年中殺とか生月中殺、異常干支があるならば、
それは、「一般的には悲惨」であったり「一般的には異常」であってこそ本来の姿であるわけで、

問題は、自分の家庭にあるのではなく、
その「一般的」であること比較して、「一般的」であることのほうが大事であると考えるその考え方に在るのだといえます。

もっとも、まだ若いうち、十代とか二十代とかで、「一般的」を信奉するのは良いのですが、
(人生の前半というのは「一般的」を学んで社会性を身に着けていく時期ですからね)
三十代とか四十代、五十代にもなって「一般的」に拘っていると、それは、悩みばかりが増して苦しいことになるので注意が必要です。

これはつまり、
三十代とか四十代、五十代にもなって「一般的な家庭」に拘る人というのも、いろいろと苦しいですよ、ということです。

「一般的」ではない要素を持つ人は、
「一般的」ではない家庭、「一般的」ではない人生を歩むことに道があり、その道の先に満足があり、その道の先に人生の役目を果たすことができます。

つまり、
生年中殺とか生月中殺、異常干支などがあって、
親が「毒親」であるように感じる人というのは、
自分の人生設定において、親が「毒親」であることで自分らしさを育てることが出来る人生設定を選んで生まれてきている、ということで、

例えば、その「毒親」から自立するために早い段階で才能を見つけることができるとか、
その「毒親」を見返すために、何か大きなことを成し遂げることができるとか、
そんなふうに、自分の人生を完成させるためにその存在を必要としたから、その「毒親」がいるのだということです。

世の「一般的ではない成功」をしている人をみれば、多くが「一般的ではない要素」をもち、
「一般的には悲惨」であったり「一般的には異常」であったりする家庭に育っているものですが、
「一般的ではない」要素というのは、「一般的ではない」人生のためにあります。

そして、「一般的ではない」要素を活用した人は、良い意味で「一般的ではない」人生、「一般的ではない成功」に向かう一方で、
「一般的ではない」要素から逃げ出したり、その要素を抑え込もうとした人は、悪い意味で「一般的ではない」人生、「一般的ではない苦しみ」に向かうことになります。

「一般的ではない要素」というのは、
例えば、中殺や異常干支もそうですし、天剋地冲や一気格、天将星なども、ある意味では「一般的ではない要素」で、他にもいろいろありますが、
こうした要素を持ちながら「一般的」を目指すことの愚、というのは確かにあります。

🪻半期統合版を整理しました🪻
一本当たり約275円です。

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https://note.com/kinugyokutoan/m/m32a79535ef72

◎2022年度 下期統合版 2022.10月〜23.3月公開
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◎2023年度 上半期統合版 2023.4月〜9月公開分
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◎2023年度 下期統合版 2023.10月〜24.3月公開
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