陰徳、断捨離、整理

人生においてコントロールを失った場合の「対処」は、
動かずにいるか、退却することだということを書きました。

西洋文化的経済活動にどっぷり浸かっているような人は、たぶん、こうした受動的対処はあまり得意ではないだろうと思うのですが、

人間が、常にいつでも攻め手側で突き進めるかといえばそうではなく、
受け手側として動かずにいる、退却する…ということをこなすスキルは、
たぶん、「攻め手のスキル」よりもはるかに重要です。

先日、サイバーエージェントの藤田さんの本を聴いていたときに、

麻雀で常に「良い手」がくるとは限らず、
「良い手」がくるまではひたすらに防御しつつ待ち続けないといけないのと同様に、
人生というのも、常に攻めることができる立ち回りばかりではない、ということ、
ゆえに、「戦略的な受け手」が大切である、

…という話があったのですが、
これは本当に人生すべてにいえることで、

人生のコントロールを失ったときに、
動かずにいるという対処をする場合の戦略、
退却するという対処をする場合の戦略、
…を、しっかりと準備しておくことができれば、

この「動かずにいる」とか「退却する」とかいう手を、
「一回休み」とか「ペナルティ」としてではなく、
「次の有効な一手に資する一手」にすることができまるな、ということを考えました。

東洋思想でいえば、陽の時期だけでなく陰の時期も有効に…というお話ですが、
実は算命学では、「陰の時期」にこそ本質があるため、
そう考えると、
「動かずにいる」、「退却する」、ということのほうに本質があるということなのかもしれません。

実際、動かずにいることで考えることができるものですし、退却することで視野が広がるものでもあります。
「良い手が来る」まで待つことも大事ですし。

ちなみに、この「良い手が来るまで待つ」というのは、
じっと待っている、というのとは異なり、「何かしらの行動」や「誰かしらの関係」においてそれを行うことが必要です。

これは盲点なのですが、
「動かずにいる」、「退却する」…というのは、
地支の世界=現実の世界の対処なので、
それも、「何かしらの行動」や「誰かしらの関係」においてそれをしないと、
「対処」にならないからです。

何をもって、「動かずにいる」、「退却する」ことを「何かしらの行動」や「誰かしらの関係」で行うことができるのかといえば、

陰徳を積む、断捨離をする、関係を整理する、
もっと平たく言えば、駆け付ける・応援する・助ける・奉仕する・開放する…などがそれで、
「自分のこと」については「動かずにいる」、「退却する」ことに当てはまる行動でも、他人のためになることはあるわけで、それがいわゆる「対処」となります。

…と、簡単に書きましたが、我欲を封じて行動するのは簡単ではないかもですね。。

🪻半期統合版を整理しました🪻
一本当たり約275円です。

◎2022年度 上半期統合版 2022.4月〜22.9月公開分
https://note.com/kinugyokutoan/m/m32a79535ef72

◎2022年度 下期統合版 2022.10月〜23.3月公開
https://note.com/kinugyokutoan/m/m479d771ac235

◎2023年度 上半期統合版 2023.4月〜9月公開分
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◎2023年度 下期統合版 2023.10月〜24.3月公開
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