空に浮かび巡り行く惑星は、
法則通り規則正しく巡り寸分の狂いなく在って、
その存在感はそれぞれに個性的。
軌道や温度に変化があっても、それを飲み込んで宇宙に調和的にあります。
人の存在も、おそらくそういう個性的なもの。
生まれたときの気の座標が個性であり、その座標を知ることでその個性を知ることができます。
年の気、月の気、日の気が交わる場所であるその座標は陰陽五行で構成されており、
複数の座標との関係は、
調和的なもの、
促進的なもの、
刺激的なもの、
波乱的なもの、
破壊的なもの、など様々にあります。
座標は場所によって、
ルートが明確なものと、
ルートの遊びが大きなものがあったり、
ルートの出発点を構成していたり、
ルートの中継ぎを構成していたり、
ルートの終着点を構成していたりもします。
そうした座標の個性を丁寧に研ぎ澄ませるように生きることは、
ある種の芸術のように美しく尊いものだな、と、ふとそんなことを考えました。
華道とか茶道とか書道というのも、
枠組みとルールの中で表現され、
その枠組みとルールの中にあって美しく、
そうした延長戦にある個性の発現が芸術。
生きるということも、
芸術の域に達するには、
枠組みや法則に則って在ることが必要なんだろうと思います。
言い換えれば、陰陽五行の座標を生きるということ。
どんな環境においても、
一人の個として在る強さを持ち、
他人に巻き込まれずに、
それでいて調和的に生きるというのは、
矛盾するようですが、その矛盾の中に極をもって生きるということかな、と思います。
算命学では、
「こうあると平和に生きていける人です」
と言われるものがあります。
例えば、
若年期には若年の星、壮年期には身強の星、晩年期には精神性の星がまわると平和な感じです。
しかし、
その通りの人はほとんどいません。
皆どこかしらに矛盾を抱えており、その矛盾こそが個性でもあります。
矛盾ある座標を生きるということは、
試練やハードルがあるわけですが、
その試練やハードルによって個を磨き、矛盾を昇華する生き方が、陽転する生き方といえる気がします。
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