「うつ」というのは、自分の思う自分像と現実の自分との乖離が甚だしく大きい場合に発症するともいわれます。
(そればかりでなく極度の疲労などが原因のこともありますが)
とりわけ、
調舒星や鳳閣星(火性)と牽牛星や車騎星(金性)の相剋とか、
調舒星や鳳閣星(火性)と玉堂星や龍高星(水性)の相剋の場合は、
うつとまでいかなくても、なかなかストレスを感じやすい組み合わせです。
火性と金性の相剋の場合、表現することが名誉を傷つけ、
水性と火性の相剋の場合、表現することを知性が抑制するので、
葛藤が大きく自家撞着に陥ったりします。
精神の葛藤や、名誉を傷つける葛藤というのは、精神を損ないやすく、結果としてうつに陥ることもあります。
特に表現(火性)というのは、自分を世の中に表明していく動きなので、それが剋されたり、それによって名誉を剋すのは、
その仕組みを知らずに表現に邁進する場合、堂々巡りになり疲労感と徒労感ばかりが残ることになりがちです。
ただ一方で、表現というのは、磨かれることで伝わりやすく、
また芸術性を備えることもあるものでもあります。
その意味では、火性の表現を高めようとする場合には、こうした葛藤をもたらす相剋は、むしろ歓迎すべきものであるという考え方もあります。
よって、
こうした相剋を持ちながら火性を光らせること、表現を志すのであれば、
知性や名誉、頭が良く見えることやかっこよく見えることを、
一先ず棚に上げて(気持ちの上でそう割り切って)、
表現に集中する、それも雑念を捨ててシンプルに表現していくことに集中することが望まれるように思います。
例えば、
表現の粋の一つである小説という分野、
その賞にもなっている芥川龍之介は主星が鳳閣星という正統派の表現の星ですが、東西に車騎星があり表現の星は両側から剋されています。
また直木賞の直木三十五は西と南に調舒星、北に鳳閣星と表現の星が3つもありますが、対して主星は玉堂星(水性)で火水の相剋、東は車騎星(金性)で火金の相剋があり、相剋しかありません。
しかし、
名誉(車騎星・牽牛星)は、剋されるといいつつ、相剋に負けずに表現を重ねたことで、小説の賞に冠されるまでになったことを考えると、
相剋というのは決して剋されるものを滅し淘汰するのではなく、
試練を与え練り磨くための役割を果たすということが分かります。
試練というのは、超えられない人には与えられないともいいます。
また、相剋のある場所は才能の在り処ともいいます。
「艱難汝を玉にす」
という言葉を支えに、前向きにあるのが良いのだろうと思います。
ちなみに、
私は火金の相剋が3つもあります。
試練に対峙する日々です。
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