「弱さを見せない」
ということについて、気が強いとか生意気だとか日本ではあまり褒められないものですが、
「弱さを見せない」人にこそ人は付いてくるし、その強さを見て自分にはできないことをやり遂げられると信頼することができるものであったりします。
強さについて、かげ口をたたいたり、ときに批判をしたとしても、だからといって、弱さのあるところには人は寄りません。
「人の気持ちが分かる」
ということについて、人の気持ちが分かった上でその人と同じレベルで向き合ってくれる人は慰めにはなるかもしれませんが、本質的な解決には向かわないものです。
目の前の人の気持ちを理解することは、一部の人の気持ちを代弁できたとしても、全体観を欠き、結果として問題を大きくするだけとなったりします。
望まれるのは、人の気持ちを一つ上のレベルから俯瞰し、それを全体観のなかで再構成しバランスを取る解決を示しその結果に導くことです。
弱さを見せない強さや、
人の気持ちを俯瞰した解決というのは、
どちらも一極二元の視点にあってなすことができるもの。
本質的に人を助けようとするならば、こうした視点が必要になります。
部下に寄り添い気持ちを理解する上司というのは、それだけでは課長クラス、
部下の気持ちを上司のビジョンに統合できる人が課長を経て部長に、そしてさらに上に向かうことができます。
人に寄り添い代弁する民衆視点の政治家は、それだけでは市議会議員レベル。
民衆の思いと組織の利益の両方をとらえ、より高度な解決を実現できる政治家が、県議会議員、そして代議士へと向かうことができます。
そうした人たちは、人の批判を飲み込んで、さらに批判する人たちを威圧するだけではなく懐柔する強さもまたあります。
批判に向かうことは剛なる強さ、
批判を懐柔することは柔なる強さ、
後者の方が、より高いレベルの強さです。
強さを悪だという人たちの話を隣のテーブルで話す人たちの言葉を聞きつつ、
毎日辻立ちをして当選し、給与明細を開示しながら地元の人の話に耳を傾ける市議会議員のことを思い出しました。
人間としては素晴らしい人でしたが、政治家としては、外なる強さもなく内なる強さもない、とても褒められない人です。
まだ若い政治家なので、今後の成長を期待するばかり。
人の上に立つわけでないとしても、
人として本質的な意味で成長するためには、「強さ」を身に付けることが必要です。
「強さ」とは自己の立ち位置の揺るぎない表明であり、その立ち位置によるビジョンを実現していくことです。
その過程において、その立ち位置、ビジョンに満たないものについては、それを指摘した上でそれでも満たされなければ、立ち去るか凌駕するかの選択が迫られます。
その選択をするのにも強さが必要です。
人はあるところまで登ると、
さらに登るかあるいは地に堕すか、いずれかの選択しかない場所に行き着きます。
現状維持ができない場所。
そのことについて、登ることは「地」を切り捨てることだという人がいますが、
登ることは「地」をおさめることです。
「おさめる」とは、治めるであり、収めるであり、納めること。
高いレベルに登りつつ、低いレベルを含めて全体を飲み込むことです。
まとめると、
物事を解決して突き進めるには強さが必要であり、強さとは全体観であり、全体観とは上も下も、合うものも合わないものも飲み込んでなお自分のビジョンを表明・具現すること、
一極二元の視点に立つということです。
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